若村麻由美さんのお父さんは、東京都練馬区で「かつ若」というとんかつ屋を営む地元の美男子でした。
若村さんの実家は父・母・子供5人の7人家族で、兄弟全員が美形ぞろいの一家として地元で知られていました。
この記事では父親の職業や実家の詳細、芸能デビューへの猛反対エピソードなどを詳しくまとめました。
・若村麻由美さんの父親の職業と実家「かつ若」の詳細
・芸能界デビューへの猛反対や山村留学のエピソード
・弟・妹4人の兄弟構成と仲の良さのエピソード
若村麻由美の父親は練馬の美男子とんかつ屋オーナー
若村麻由美さんの父親について知りたくてここにたどり着いた方、多いんじゃないでしょうか。
実は若村さんのお父さん、地元では「美男子なとんかつ屋の大将」として有名な方なんです。
7人家族の大黒柱として長年とんかつ屋を切り盛りし、どんな人物だったのかを詳しくご紹介します。
父親の職業はとんかつ料理店「かつ若」の経営者
若村麻由美さんのお父さんの職業は、東京都練馬区の練馬駅近くでとんかつ料理店「かつ若」を経営するオーナーです。
店名の「かつ若」はとんかつの「かつ」と若村家の「若」を合わせたもので、若村家にとって長年の生業であり、家族全員で切り盛りしていたお店でもあります。
お母さんも一緒にお店に立っていたほど、家族一丸となって経営していた飲食店で、若村麻由美さんが生まれた頃にはすでに営業していました。
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 店名 | かつ若(勝つ若) |
| 業種 | とんかつ料理店 |
| 場所 | 東京都練馬区・練馬駅近く |
| 現在の状況 | 廃業(現存せず) |
若村家の誰一人として店を継ぐ後継者がいなかったため、残念ながら現在は廃業されており、お店はありません。
お父さんが若い頃から始めたとんかつ屋という職業は、大きな家族を養うのに十分なほど繁盛していたようで、若村さんが後述する山村留学や数多くの習い事をできた背景には、安定したお父さんの経営があったことがうかがえます。
商店街若手役員のホープと呼ばれた美男子
とんかつ屋の経営者というだけでなく、若村麻由美さんのお父さんは地域のコミュニティでも存在感を発揮されていた人物です。
若い頃には練馬駅前中央通り商店街の若手役員のホープと呼ばれるほど、地元商店街で高い評価を受けていたそうです。
「ホープ」と呼ばれるくらいですから、商店街のリーダー的存在として活躍されていたんですね。
そしてもうひとつ、お父さんが地元で有名だった理由があります。
それが「美男子」という評判です。
地元では「年齢を重ねても美男子なとんかつ店のご主人」として噂されており、若村家全体が「美形一家」として知られていたそうです。
若村麻由美さんが美しい女優として長年活躍されていることを考えると、お父さんから確かに美しい遺伝子が受け継がれているのでしょう。
地元の人たちが「あのとんかつ屋さんの家族は美形ぞろいだ」とよく口にしていたほど、若村家の美貌ぶりは評判だったようです。
お父さん自身の顔写真や名前は一般人のため公表されていませんが、それほど地元で評判になっていたことを考えると、相当な美男子だったことは間違いなさそうですよね。
芸能界デビューに猛反対した父親のエピソード
若村麻由美さんの女優デビューにまつわるエピソードで、お父さんのことを語らずにはいられません。
実は若村さんが芸能界に進もうとした際、お父さんは猛反対していたそうなんです。
娘が芸能界に進むことへの心配は、親としてごく自然なことかもしれません。
特に当時は今ほど芸能界のイメージも良くなかった部分もあったでしょうし、安定した生活を望む親心からの反対だったと思われます。
ところが若村さんのデビューは、予想を超える形でやってきました。
仲代達矢さんが主宰する俳優養成所「無名塾」の養成期間中に、若村さんはNHK連続テレビ小説『はっさい先生』のヒロインに抜擢されたのです。
このとき、NHKのスタッフから「発表まで誰にも言わないように」と口止めされていたため、両親にも事前に伝えることができませんでした。
そのため、いきなり娘がNHK朝ドラのヒロインとしてデビューするという、お父さんにとっては驚天動地のできごとになったわけです。
猛反対していたお父さんの元に、「娘がNHK朝ドラのヒロインになった」という事実が突然舞い込んできたのですから、さぞや驚かれたことでしょう。
そのインパクトあるデビューがお父さんの反対意見を覆したかどうか定かではありませんが、その後の若村麻由美さんの活躍ぶりを見れば、お父さんも女優の道を認めるしかなかったのではないかと思います。
山村留学でキジを撃つ積極的な父親の教育方針
若村麻由美さんのお父さんを語るうえで、絶対に外せないエピソードがあります。
それが「山村留学」とそこにまつわる豪快な父親の姿です。
若村さんが小学校5年生から卒業まで、2年間長野県に山村留学をしたのは、ご両親の教育方針によるものでした。
「子供たちを自然の中で学ばせる」という目的から、若村さんは長野県八坂村(現在の長野県大町市)の八坂小学校に住民票を移し、農家にホームステイしながら学ぶという経験をしました。
当時の話で若村さんが今でも鮮明に覚えているというエピソードが、このホームステイ中のものです。
ある日、お父さんがわざわざ山に来て、その日の朝にキジを撃ちに行ったそうです。
お父さんがキジを仕留め、そのキジを出汁として使い、お母さんが蕎麦を手打ちして食べた信州蕎麦が、若村さんにとって今でも忘れられない一品なんだとか。
この蕎麦の味があまりにも美味しかったため、若村さんは高校生になってから放課後に制服姿でそば屋巡りをするほど蕎麦にハマったそうです。
しかし、あのキジの出汁で取った信州蕎麦を超えるものはなかったと語っています。
娘のために早起きしてキジを撃ちに山に入るというエピソードは、とんかつ屋の大将らしい豪快さと、子供への深い愛情が伝わってきますよね。
この山村留学の体験は、若村さんにとって「五感で細胞に刻まれた」経験として、今でも自分の軸になっていると語るほど大切な思い出となっています。
山村留学での生活の中身
若村さんが体験した山村留学は、都会育ちの子供にとってはかなりハードなものでした。
学校までは毎日片道3キロ半の山道を歩いての登下校、ホームステイ先での農作業の手伝いや、野山での遊びを通じた体験学習など、まさに自然の中に飛び込んだ生活でした。
最初はホームシックで泣いてばかりいた若村さんでしたが、やがて水や空気のおいしさ、満点の星空に癒やされて寂しさを忘れるようになったそうです。
このような非日常の体験をさせようとしたお父さんとお母さんの教育方針は、当時としてもかなり先進的なものだったと言えるでしょう。
実家のとんかつ屋は廃業し現在は都内に転居
若村麻由美さんが育った実家のとんかつ屋「かつ若」は、現在廃業しており、お店は存在しません。
若村家のご兄弟・姉妹の中に店を継ぐ者がいなかったことが廃業の理由とされており、長年地元練馬区で愛されてきたお店が閉まったことになります。
廃業後、ご両親は都内の高級マンションを購入して引っ越しされたとの情報があります。
若村麻由美さんの旦那さんだった宗教法人の会長・小野兼弘さんからの資金援助があったとも見られており、ご両親と旦那さんの間には経済的なつながりもあったようです。
ただし、この高級マンションの購入や資金援助の話については公式に発表されているわけではなく、情報の確度は高くありません。
現在のご両親の様子については、一般人として生活されているため詳細な情報は公表されておらず、健在かどうかも公式には確認が取れていません。
若村麻由美の父を調べる人向けの関連情報
若村麻由美さんの父親に加え、母親や兄弟、実家についての情報もまとめてお伝えします。
母親の洋子さんはヘビースモーカーの働き者
若村麻由美さんのお母さんは洋子さんという名前の方で、お父さんと一緒にとんかつ屋を切り盛りしてきた働き者です。
そのパワフルさを象徴するエピソードがあります。
若村さんが赤ちゃんだった頃、お母さんはダンボールに赤ちゃんを入れ、お店の片隅に置きながら仕事をしていたそうです。
今の感覚からするとなかなかびっくりするような話ですが、昭和の時代、商店を切り盛りする家庭ではよくあった光景かもしれませんね。
- ヘビースモーカーで、妊娠中もタバコを止めない愛煙家だった
- 若村麻由美さんの身の回りのことはほとんど面倒を見ていた
- 子供5人と店の仕事をこなすパワフルな性格
実は若村麻由美さんが今でも料理・家事・整理整頓が苦手なのは、お母さんがすべてやってくれていたためとも語っており、大人になってからもしょっちゅうお母さんに家事をしてもらっているとのこと。
また、若村麻由美さんが女優の道を歩むきっかけを作ったのもお母さんです。
中学1年生のとき、お母さんと一緒に東宝宝塚劇場へ行き、向かいにある芸術座の実演を観るようになったことが、舞台に魅了されていく原点になりました。
舞台の感動が積み重なり、やがて無名塾の舞台で「今まで見たことのない世界が広がっている」と衝撃を受けた若村さんの感受性は、お母さんと一緒に劇場に通った経験から育まれたと言えるでしょう。
実家は練馬区で7人家族の大家族
若村麻由美さんの実家は東京都練馬区にあります。
出身小学校が練馬区立豊玉小学校ということから、豊玉中4丁目付近に実家があったのではないかと見られています。
練馬駅近くに「かつ若」というとんかつ屋を構えており、商売と住まいが近い場所にあったことが想像できます。
若村さんの家族構成は以下の通り、父・母・子供5人という7人家族の大家族でした。
| ポジション | 名前 | 若村麻由美との関係 |
|---|---|---|
| 長女 | 若村麻由美(本名:小野麻由美) | 本人 |
| 長男 | 龍哉 | 1歳下の弟 |
| 次女 | るり子 | 妹 |
| 三女 | めぐみ | 妹 |
| 四女 | 梨枝子 | 妹 |
5人の子供たちはみんな美形ぞろいで、地元では「美形一家」として評判だったそうです。
7人家族というのはかなりの大所帯ですが、それだけの家族を養ってこられたお父さんのとんかつ屋の経営力と、お母さんの家事・育児・仕事の両立ぶりは本当に大変だったことでしょう。
弟1人・妹3人の5人きょうだいの仲の良さ
若村麻由美さんには、弟が1人と妹が3人います。
弟の龍哉さんは若村麻由美さんの1歳下で、妹の順は次女るり子さん、三女めぐみさん、四女梨枝子さんという構成です。
ご兄弟の仲は非常に良く、お互いの誕生日にはみんなで集まってお祝いをする習慣があるとのこと。
若村さんが中学生のとき、妹の面倒を見ていたところ「若いお母さんね」と間違われてショックだったというエピソードもありましたが、それだけ仲良く、まるで親子のように面倒を見ていたことの表れでもあります。
また、後年の話になりますが、若村麻由美さんの旦那さんである宗教団体「釈尊会」の会長・小野兼弘さんが病気で療養していた際には、ご兄弟全員が釈尊会の職員として働き、身の回りのお世話をしていたというエピソードもあります。
旦那さんが2007年4月に肝不全でお亡くなりになった際も、ご兄弟が近くで支えており、若村さんとご家族にとって大きな悲しみになったことは想像に難くありません。
5人きょうだい全員が協力し合う、家族の絆の強さが伝わってきますよね。
弟の龍哉は少年サンデーで姉を推薦したイケメン
若村麻由美さんの弟・龍哉さんには、少し変わった形でお姉さんを後押ししたエピソードがあります。
若村さんが中学2年生(14歳)のとき、なんと少年誌「週刊少年サンデー」の「街の美少女紹介」企画に、弟の龍哉さんが姉を推薦したそうです。
この推薦が見事に採用され、若村麻由美さんは少年サンデーの巻頭カラー4ページを飾ることになりました。
若村さんは当時のことをこう振り返っています。
「推薦者は、実は中一の弟なんです。ちょっぴり恥ずかしかったけれど、これでやさしいお兄さんみたいなお友達ができればと思って、カメラの前に立ちました」
姉を大好きな弟が、「お姉ちゃんをもっと世に出したい」という気持ちで応募したのでしょう。
それが実際に実現してしまうというのは、なかなかほっこりするエピソードですよね。
龍哉さん自身も「弟も俳優になれるいい男だわ」と地元の人たちが評するほどのイケメンだったとのことで、若村家の美形遺伝子は弟さんにもしっかり受け継がれていたようです。
残念ながら龍哉さんは一般人のため、お写真や詳しい情報は公表されていません。
片岡愛之助との姉弟説の真相
若村麻由美さんに関して「片岡愛之助さんが弟なのでは?」という噂をネットで見たことがある方も多いかもしれません。
結論から言うと、片岡愛之助さんは若村麻由美さんの実の弟ではありません。
この噂が広まった背景には、あるバラエティ番組で若村さんのサプライズゲストとして片岡愛之助さんが登場したことがきっかけとされています。
二人の仲の良さが本当の姉弟のように見えたため、ネット上で「姉弟なのでは?」という憶測が広まったようです。
二人の関係の始まりは、2003年に放送された時代劇ドラマ『夜桜お染』での共演です。
それ以来、ずっと仲良しとして知られており、若村さんは片岡愛之助さんの舞台には必ず観に行くほどの応援ぶりです。
若村さん自身は片岡愛之助さんについて「ずっと見守っている」と語り、片岡愛之助さんも若村麻由美さんを「お姉さんみたいな方」と言っています。
実際に5人きょうだいの長女として育った若村さんの面倒見の良さが、片岡愛之助さんとの関係にも自然と出ているのかもしれませんね。
生い立ちと女優を目指すまでの道のり
若村麻由美さんの生い立ちを振り返ると、女優になるまでにかなりユニークな経歴があることがわかります。
幼い頃の若村さんは、神社の境内で日が落ちるまで遊ぶ活発な子供でした。
「としまえん」のシーズンパスを持っており、遊園地やプールによく出かけていたおてんばな女の子だったそうです。
| 時期 | 主な出来事 |
|---|---|
| 3歳 | 日本舞踊とクラシックバレエを習い始める |
| 4歳 | 身体の動かし方が違うため日舞に絞る(週3回稽古) |
| 小5〜小6 | 長野県八坂村に山村留学(2年間) |
| 中学時代 | 日舞を続けながら、時代劇が趣味の渋い女の子 |
| 高校1〜2年 | 最年少(当時15〜16歳)で日本舞踊坂東流名取を取得 |
| 高校3年 | 無名塾の舞台を観て女優を志す |
| 高校卒業後 | 130倍以上の無名塾オーディションに合格・入塾 |
| 20歳(1987年) | NHK連続テレビ小説『はっさい先生』でヒロインデビュー |
3歳から日本舞踊を習っていた若村さんは、お師匠さんの厳しい稽古を経て礼儀作法を身につけ、当時最年少で坂東流名取を取得するほどの腕前になりました。
当時は舞踊家の道を歩むと思っていたそうですが、高校3年生のとき渋谷で偶然、仲代達矢さん主宰の「無名塾」の舞台を観る機会があり、そこで衝撃を受けます。
「今まで全く見たことのない世界が広がっていて、心を鷲掴みにされた。17年間こういうものを知らずに生きてきたことに衝撃を受けました」
この出会いから女優への夢を抱くようになり、大学受験をやめて高校卒業後すぐに無名塾の入塾試験を受験しました。
130倍を超える難問を突破して見事合格し、養成期間中に大抜擢でNHK朝ドラのヒロインデビューを果たしました。
3歳から日舞で鍛えた身体表現、山村留学で得た豊かな感受性、そして母親と一緒に劇場に通って培った舞台への憧れ——これらすべてが、若村麻由美という女優を作り上げた土台になったと言えそうです。
若村麻由美の父に関するまとめ
- 若村麻由美さんの父親は東京都練馬区でとんかつ料理店「かつ若」を経営していた
- 練馬駅前中央通り商店街の若手役員のホープとして地域でも活躍していた
- 「年齢を重ねても美男子」として地元で評判の美形一家の大黒柱だった
- 父親の名前は一般人のため非公開
- 若村麻由美さんの芸能界デビューには猛反対していた
- NHK朝ドラ出演は両親にも事前に知らせず、いきなりのデビューで父を驚かせた
- 山村留学中には自らキジを撃ちに山に入り、手打ち蕎麦の出汁を取る豪快な父親エピソードがある
- 子供たちの自然体験を重視した山村留学は両親の教育方針によるもの
- 実家のとんかつ屋「かつ若」は後継者がいないため廃業し現在は存在しない
- 廃業後、両親は都内高級マンションに転居したとされる
- 母親の洋子さんはヘビースモーカーながら子供5人の世話と店の経営をこなした働き者
- 家族構成は父・母・若村麻由美(長女)・龍哉(長男)・るり子・めぐみ・梨枝子の7人家族
- 5人きょうだいの仲は非常に良く、誕生日には全員集合する
- 弟の龍哉さんは若村麻由美さんを少年サンデーに推薦したイケメン
- 片岡愛之助との姉弟説は噂に過ぎず、2003年共演以来の仲良し芸能人という関係
- 若村麻由美さんは3歳から日舞を習い、15〜16歳で坂東流名取を取得した


