バレーボール日本代表として活躍する甲斐優斗選手の父親が気になる方も多いのではないでしょうか。
甲斐優斗選手の父・甲斐晃宏さんは元実業団選手で少年バレーの監督を務め、息子にバレーの楽しさを教えた方でしたが、2021年に48歳の若さで他界されています。
この記事では、父親の経歴や親子の絆、母・兄もバレー選手というバレーボール一家の詳細をまとめました。
・甲斐優斗の父親・甲斐晃宏の経歴と「バレー馬鹿」と呼ばれた指導スタイル
・48歳で他界した父の遺言と笑顔でプレーする理由
・母・兄もバレー選手のバレーボール一家の全容
甲斐優斗の父親・甲斐晃宏の経歴と親子の絆
バレーボール日本代表として活躍する甲斐優斗選手の父親は、どんな方だったのでしょうか。
ここでは、父・甲斐晃宏さんの経歴や息子への指導、そして家族全員がバレー経験者というバレーボール一家の実態に迫ります。
父・甲斐晃宏は元実業団選手で少年団の監督
甲斐優斗選手の父親は、甲斐晃宏(かい あきひろ)さんといいます。
晃宏さんは9人制バレーボールの元実業団選手で、現役引退後は地元・宮崎県延岡市で「延岡南バレーボールクラブ」の監督を務めていました。
自身もプレーヤーとして実業団で活躍した経験を持ち、その知識と技術を次世代の子どもたちに伝えることに情熱を注いでいたんですね。
甲斐優斗選手がバレーボールを始めたのは小学2年生の時で、まさにこの父が監督を務めるクラブに入団したことがきっかけでした。
2歳上の兄・孝太郎さんも同じクラブでバレーボールを始めており、兄弟揃って父の指導のもとでバレーの基礎を身につけていったことになります。
晃宏さんは周囲から「バレー馬鹿」と呼ばれるほどバレーボールに没頭していた方で、家にいる時もバレーの話が中心だったそうですよ。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 甲斐晃宏(かい あきひろ) |
| バレー経歴 | 9人制バレーボール元実業団選手 |
| 指導歴 | 延岡南バレーボールクラブ監督 |
| 家族 | 妻・照美さん、長男・孝太郎さん、次男・優斗選手 |
父親の身長は不明だがバレー一家の遺伝的背景
ちなみに、晃宏さん自身の身長についての具体的なデータは公表されていません。
ただ、甲斐優斗選手が200cm、兄の孝太郎さんが187cmと、兄弟揃って高身長であることを考えると、バレー一家の遺伝的な恩恵があったことは想像に難くないですよね。
実業団でプレーしていたということは、当時からかなりの体格を持っていた可能性が高いかなと思います。
バレー馬鹿と呼ばれた厳しくも愛情深い指導
晃宏さんのバレー指導は非常に熱心で、特に自分の息子である甲斐優斗選手には厳しかったそうです。
「バレー馬鹿」という愛称が示す通り、基礎練習の反復を何よりも重視し、子どもたちの指導に情熱を燃やしていました。
自分の息子だからこそ、他の子以上に厳しく接していたのでしょうね。
ただ、家に帰ると優しいお父さんとして接していたというエピソードもあり、コートの上では指導者として、家庭では父親として、しっかり切り替えていた方だったことがわかります。
この厳しい指導のおかげで、甲斐優斗選手はメキメキと上達し、確実に実力をつけていったんですね。
小学生の頃からバレーの基礎を叩き込まれた経験が、のちに10代で日本代表に選ばれるほどの選手へと成長する土台になったことは間違いありません。
高校2年の夏に48歳で他界した父の遺言
残念なことに、晃宏さんは2021年6月に大腸がんのため亡くなりました。
まだ48歳という若さでした。
甲斐優斗選手が高校2年生の時のことです。
晃宏さんは亡くなる前、息子に「頑張れ!」という言葉を残したそうです。
甲斐優斗選手は今でも試合の時にこの言葉を噛み締めているといいます。
晃宏さんが生前ずっと夢見ていたのは、息子の春高バレー出場を見届けることでした。
しかし、甲斐優斗選手が念願の春高バレーに出場したのは高校3年生の時で、父の死後のことだったんです。
初出場ながらチームを全国3位に導くという快挙を成し遂げた時、晃宏さんはもうこの世にいませんでした。
ここ、胸が締め付けられますよね。
それでも甲斐優斗選手は父の教えを胸に、2022年には10代で日本代表に選出され、2024年にはパリオリンピックに出場するまでに成長しました。
天国の晃宏さんも、きっと息子の活躍を誇らしく見守っているのではないでしょうか。
笑顔でプレーする理由は亡き父への思い
甲斐優斗選手のトレードマークといえば、コート上での笑顔です。
この笑顔には、亡き父への深い思いが込められています。
甲斐優斗選手自身がこう語っています。
「自分がバレーボールを楽しんでいれば父も喜ぶと思うので、常に楽しんでプレーするように心がけています。苦しい状況もありますけど、楽しんでいる姿を見てもらうほうが自分も嬉しいので、常に楽しむことを心がけています」
いつもそばで見守りながらバレーの楽しさを教えてくれた父。
その教えを体現するかのように、甲斐優斗選手は苦しい場面でも笑顔を絶やさずプレーし続けています。
専修大学で指導する吉岡達仁監督も「バレーボールがすごく好きな子。コートに入っているのがすごく楽しいんだと思います。あの笑顔は、バレーがやれていることが楽しくて出ているんじゃないかな」と語っており、その笑顔の裏にある情熱と父への想いを感じ取っているようです。
母・甲斐照美はママさんバレー日本一の実力者
甲斐優斗選手の母親は、甲斐照美(かい てるみ)さんといいます。
照美さんもバレーボール経験者で、中学からバレーを始め、高校時代にはリベロとしてチームのキャプテンを務めるほどの実力者でした。
さらに驚くべきことに、ママさんバレーボールチームでは日本一に輝いた経験を持っています。
父の晃宏さんと同様に根っからのバレー好きで、家族の中でもバレーの話題が尽きない環境だったそうですよ。
母の高校時代はリベロでキャプテン
照美さんが高校時代にリベロとしてキャプテンを務めていたということは、守備力だけでなくリーダーシップも兼ね備えた選手だったことがうかがえます。
リベロはコート全体を見渡して声を出し、チームをまとめる役割も担うポジション。
そんな母親のもとで育った甲斐優斗選手が、コート上で堂々とプレーできるのも納得ですよね。
2021年に父を亡くした後、甲斐家を支えたのは照美さんでした。
経済面でも精神面でも息子たちをしっかり支え続け、甲斐優斗選手が世界の舞台で戦えるまでに成長させた功労者です。
オリンピック予選では宮崎から代々木体育館まで駆けつけて応援し、フランスリーグでのプレー時にはSNSを通じて動画をくまなくチェックしてくれていたそうです。
いつも「頑張ってね」と背中を押してくれる、温かいお母さんなんですね。
兄・甲斐孝太郎もサントリーで活躍するプロ選手
甲斐優斗選手の兄は、甲斐孝太郎(かい こうたろう)さんです。
2001年11月5日生まれで、優斗選手の2歳上にあたります。
孝太郎さんも弟と同じくバレーボール選手で、現在はサントリーサンバーズ大阪に所属しています。
ポジションはセッターで、身長は187cm。
弟の優斗選手ほどの高身長ではありませんが、正確なトスさばきに定評がある選手です。
進路も弟とまったく同じで、延岡南中学校→宮崎県立日南振徳高等学校→専修大学と進んでいます。
専修大学ではキャプテンも務め、チームの中心として活躍しました。
| 項目 | 甲斐孝太郎(兄) | 甲斐優斗(弟) |
|---|---|---|
| 生年月日 | 2001年11月5日 | 2003年9月25日 |
| 身長 | 187cm | 200cm |
| ポジション | セッター | アウトサイドヒッター |
| 所属チーム | サントリーサンバーズ大阪 | 大阪ブルテオン |
| 出身高校 | 日南振徳高校 | 日南振徳高校 |
| 出身大学 | 専修大学 | 専修大学 |
兄弟での大学バレー共演
兄弟がともに専修大学でプレーしていた時期もありましたが、優斗選手が日本代表として活動する機会が増えたため、大学の試合で一緒にプレーする機会は限られていたそうです。
それでも、孝太郎さんの最後の全日本インカレでは兄弟そろってコートに立つ場面もありました。
孝太郎さんは弟の成長を間近で見続けてきた一人として、「優斗とこんなに戦えるなんて」と感慨深く語っています。
家族全員がバレー経験者のバレーボール一家
ここまで見てきた通り、甲斐家は正真正銘のバレーボール一家です。
父・晃宏さんは元実業団選手で少年団の監督、母・照美さんはママさんバレーで日本一、兄・孝太郎さんはサントリーサンバーズ大阪所属のプロ選手。
そして甲斐優斗選手自身は日本代表としてパリオリンピックに出場するまでに成長しました。
家族構成は父・母・兄・本人の4人家族で、妹がいるという情報は確認されていません。
家にいる時間のほとんどがバレーの話だったという甲斐家。
バレーが日常の一部として溶け込んでいる環境で育ったからこそ、甲斐優斗選手は自然とバレーの道に進み、世界レベルの選手へと成長できたのでしょうね。
甲斐優斗の父親を調べる人向けの関連情報
甲斐優斗選手の父親について調べている方は、甲斐選手自身のプロフィールや経歴も気になるのではないでしょうか。
ここでは、よく検索されている関連情報をまとめてご紹介します。
ハーフではなく宮崎県延岡市出身の日本人
甲斐優斗選手は、その彫りの深い顔立ちからハーフではないかと噂されることがあります。
しかし、甲斐優斗選手は宮崎県延岡市出身の日本人で、ご両親ともに日本人です。
ハーフでもクォーターでもありません。
顔立ちが端正で目鼻立ちがはっきりしていることから、そのような噂が広まったようですが、完全な日本人のバレーボール選手ですよ。
身長200cmで最高到達点352cmの恵まれた体格
甲斐優斗選手の身長は200cmで、日本代表の中でもトップクラスの高身長を誇ります。
体重は79kg(時期により変動あり)で、ポジションはアウトサイドヒッター。
最高到達点はスパイクで352cm、ブロックで330cmと、恵まれた体格を最大限に活かしたプレーが持ち味です。
| 項目 | データ |
|---|---|
| 身長 | 200cm |
| 体重 | 79kg |
| ポジション | OH(アウトサイドヒッター) |
| 最高到達点(スパイク) | 352cm |
| 最高到達点(ブロック) | 330cm |
| 背番号 | 15 |
ちなみに、この身長が伸びた理由について本人は「コロナ禍で寝てたら伸びた」とユーモアを交えて語っているそうです。
のんびりした性格が伝わってきて、なんだかほっこりしますよね。
高校は日南振徳で春高バレー全国3位の快挙
甲斐優斗選手は2019年に宮崎県立日南振徳高等学校に進学しています。
兄の孝太郎さんが先に通っていた学校で、兄の背中を追うように同じ道を選びました。
高校時代のハイライトは、なんといっても春高バレー(全日本高等学校選手権大会)での活躍です。
初出場ながらチームを全国3位に導くという快挙を達成しました。
特に印象的だったのが駿台学園との対戦で、この試合では甲斐優斗選手が単独で42得点を叩き出し、フルセットの激闘の末に勝利を収めています。
この活躍が注目を集め、高校卒業を待たずして日本代表の候補に名前が挙がるようになりました。
出身大学は専修大学で兄と同じ進路を選択
2022年に専修大学の経済学部に進学しました。
ここでも兄の孝太郎さんと同じ大学を選んでいます。
甲斐優斗選手本人も「子どもの頃から一緒にバレーボールをやってきた兄が在籍していた専修大学に進学しました」と語っており、兄への信頼と絆が進路選択にも影響していたことがわかります。
大学生活はバレーボールと学業の両立で大変な時もあるようですが、オンライン授業を併用しながら対応しているそうです。
大学入学と同じ2022年に日本代表登録メンバーに選出されるという驚異的なスピードでキャリアを積み重ね、2024年12月の全日本インカレでは専修大学の初優勝に貢献し、自身も最優秀選手賞とサーブ賞をダブル受賞しています。
ブルテオンに正式入団しSVリーグで活躍中
甲斐優斗選手は2025年1月に大阪ブルテオンに特別指定選手として加入し、2月1日の広島サンダーズ戦でSVリーグデビューを果たしました。
デビュー戦ではリリーフサーバーとして登場し、いきなりサービスエースを決めるという鮮烈なデビューを飾っています。
その後、5月にアジアチャンピオンズリーグ終了をもって一度退団しましたが、2025年7月に大阪ブルテオンへ正式入団(内定)が発表されました。
背番号は15番で、2025-26シーズンのSVリーグに本格参戦しています。
なお、フランスリーグへの挑戦経験もあり、2024年にはパリ・バレーでプレーしました。
これは日本代表監督のフィリップ・ブラン氏の勧めによるもので、海外でのプレー経験がさらなる成長につながったようです。
| 年 | 所属先 | 主な出来事 |
|---|---|---|
| 2022年 | 専修大学 | 日本代表登録メンバーに選出 |
| 2023年 | 日本代表 | ネーションズリーグ銅メダル |
| 2024年1月 | パリ・バレー | フランスリーグに挑戦 |
| 2024年7月 | 日本代表 | パリオリンピック出場 |
| 2024年12月 | 専修大学 | 全日本インカレ初優勝・MVP |
| 2025年1月 | 大阪ブルテオン | 特別指定選手として加入 |
| 2025年7月 | 大阪ブルテオン | 正式入団 |
彼女や結婚についての情報は非公開
甲斐優斗選手の彼女や結婚についてですが、2025年時点で公式に発表されている情報はありません。
SNSの投稿も試合やチーム関連の内容が中心で、プライベートに関する情報はほとんど公開されていないんですよね。
大学4年生ながら日本代表とSVリーグの両方で活躍する超多忙なスケジュールをこなしていることを考えると、競技に集中しているのかもしれません。
好きなタイプについても特に公言はしていないようですが、普段はのほほんとした性格で朝が苦手だという一面もあるそうですよ。
同級生からは「中身は全く変わってない。いつものほほんとした感じ」と言われており、日本代表になっても変わらない飾らない人柄が伝わってきますね。
甲斐優斗の父親のまとめ
- 甲斐優斗の父親は甲斐晃宏で、9人制バレーの元実業団選手
- 晃宏は延岡南バレーボールクラブの監督として少年バレーの指導にあたっていた
- 甲斐優斗がバレーを始めたのは小学2年生の時で、父のクラブに入団したのがきっかけ
- 晃宏は「バレー馬鹿」と呼ばれるほど指導に熱心で、息子には特に厳しかった
- 家に帰ると優しい父親で、コートと家庭で接し方を切り替えていた
- 晃宏は2021年6月に大腸がんのため48歳で他界
- 亡くなる前に息子に「頑張れ!」という言葉を残した
- 甲斐優斗の笑顔のプレーは、バレーの楽しさを教えてくれた父への想いから
- 母・甲斐照美はママさんバレーで日本一になった経験を持つ
- 母は高校時代にリベロとしてキャプテンを務めた実力者
- 兄・甲斐孝太郎はサントリーサンバーズ大阪所属のプロバレー選手
- 兄弟ともに日南振徳高校→専修大学と同じ進路を歩んだ
- 甲斐家は4人家族で全員がバレーボール経験者のバレー一家
- ハーフではなく宮崎県延岡市出身の日本人で、両親ともに日本人
- 2025年に大阪ブルテオンに正式入団しSVリーグで活躍中


