志尊淳の出身地・足立区とは?五反野育ちの生い立ちから家族エピソードまで

志尊淳の出身地・足立区とは?五反野育ちの生い立ちから家族エピソードまで

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志尊淳さんの出身地が東京都足立区だということをご存知でしょうか。

足立区の下町で育ち、保育園脱走も日常茶飯事のやんちゃな幼少期を過ごした志尊さん。実は、祖父・祖母・叔父が有名音楽家という「音楽一家」の血を引いていたことや、17歳で家出し家族と音信不通になった過去があることも、あまり知られていません。

この記事では、志尊淳さんと足立区の関係をはじめ、生い立ち・家族・実家事情まで、知れば知るほど人間味あふれる志尊淳さんの素顔をまとめました。

この記事を読むとわかること
・志尊淳の出身地・足立区のどこ育ちかと幼少期エピソード
・父親・母親・兄・姉それぞれの家族エピソードと実家の現在
・祖父が著名作曲家・祖母がNHK初代うたのおねえさんという音楽一家の真相

志尊淳の出身・足立区での生い立ちと幼少期

志尊淳さんの地元・足立区は、東京の下町文化が根付く街です。

生まれ育ったこの土地での生い立ちを、幼少期から高校時代まで詳しく振り返ります。

地元は足立区のどこ?五反野エリアの下町育ち

志尊淳さんの出身地は、東京都足立区です。

足立区といえば、荒川沿いの下町エリアとして知られ、東京23区の北東部に位置する区です。

面積は大田区・世田谷区に続いて23区内で3番目の広さを誇り、かつては町工場が多く集まる「ものづくりの街」としても知られていました。

志尊淳さんが育った具体的なエリアについては、足立区の五反野周辺が有力とされています。

これは、志尊淳さんと同じ小学校に通っていたという人物が、SNSで自分の自宅が「五反野(足立区)」であることに言及していたことが根拠になっています。

五反野は千住と綾瀬の間に位置する住宅地で、荒川と隅田川に囲まれたのどかな下町のイメージが強い地域です。

「志尊」という苗字の珍しさと足立区との関係

ところで、志尊淳さんの苗字「志尊(しそん)」は、本名です。

芸名と勘違いされることが多いのですが、本人は「志がある、尊いという苗字だからこそ頑張れた」と語っています。

日本姓名の調査サイトでは「調査中」とされており、全国に20人以下しか存在しない超珍しい苗字の可能性があります。

もし本当に全国20人以下だとすれば、志尊淳さんの家族5人だけで全国の「志尊」姓の25%を占める計算になります。知ったときびっくりしませんでしたか?

ネット上でも「志尊」という苗字を辿ることで、足立区在住の方がいることをファンが特定しており、実家が足立区にあることはほぼ間違いないとされています。

保育園脱走も日常のやんちゃな幼少期

「顔がいい」「王子様キャラ」というイメージがある志尊淳さんですが、幼少期はまったく別の顔を持っていました。

保育園から脱走するのが日常茶飯事だったというエピソードが有名で、近所の人に取り押さえられて保育園に連れ戻される、雨の日でも泥だらけになって外で遊ぶなど、保育園の先生を毎日困らせていたそうです。

小学校でもそのやんちゃぶりは続き、小学校低学年のころは母親が「毎日謝って回らなければならない」ほどのいたずらっ子だったと言います。

こうした反発心には、ご両親の離婚が影響していた部分もあったようです。

志尊淳さん自身も「大人の事情を受け入れるのに時間がかかった」と語っており、両親の離婚を幼い子どもなりに受け止めるのが難しかった時期があったことを明かしています。

……でも、幼い子どもがそういう行動に出るのって、なんか理解できますよね。

素直に気持ちを表現できなかっただけで、心の中はいっぱいいっぱいだったんだと思います。

野球と剣道で区大会優勝した小学校時代

やんちゃな一面を持ちながらも、志尊淳さんは小学校時代にスポーツで頭角を現しました。

小学生のころには野球と剣道を習っており、特に剣道では足立区の大会で優勝するほどの実力を持っていました。

しかし当時の夢はプロ野球選手だったため、剣道をやめて野球に専念するという決断をします。

スポーツに情熱を注ぐ姿勢は、この頃から変わっていなかったんですね。

また、志尊淳さんが大きな身体になりたいという思いから、中学3年生の時点で体重が72kgにまで増えていたのも、この野球への情熱の裏返しだったとも言えるでしょう。

スポーツ歴期間主な実績
野球小学校時代〜中学大きな体を作るため打ち込む
剣道小学校時代足立区大会優勝
総合格闘技・ボクシング等中学〜高校キックボクシング、ブラジリアン柔術なども経験

両親の離婚とシングルマザー母との生活

志尊淳さんが小学校高学年のころ(小学5〜6年生のころとされています)、ご両親は離婚しました。

離婚後は母親と祖母のサポートのもと、兄・姉・志尊淳の3人きょうだいで生活することに。

お母さんは朝は掃除の仕事、午後は派遣の仕事などをこなしながら3人の子供を懸命に育てました。

……シングルマザーで3人の子供を育てるって、相当大変だったはずです。

読んでいてこちらまで胸が温かくなるような、母の強さを感じます。

後に志尊淳さんは、17歳で家出して一人暮らしを始めた際に、「これまで当たり前だと思っていた日常は、お母さんの懸命な働きがあったからこそだと気がついた」と語っています。

2018年に出演した「徹子の部屋」では「お母さんが一生暮らせるお家を建ててあげたい」という目標を語ってファンの心を打ちました。

中学時代の72kgから18kg減の壮絶ダイエット

志尊淳さんの生い立ちのなかでも特に印象的なのが、中学時代のダイエットエピソードです。

大きな体になりたいとバクバクご飯を食べていた結果、中学3年生のころには体重が72kgにまで増えていたそうです。

そこでお母さんから「1kg痩せたら1,000円あげるよ」とダイエットを提案されました。

おこづかいに釣られた志尊淳さんは、ダイエットコーラを飲みながら真夏の炎天下をひたすら走るという過激なダイエットを実行。

なんとたった2か月で18kgを落とし、体重54kgになってしまいました。

これはきつかったでしょうね……。

倒れて点滴を受けるほど体調を崩したそうで、さすがのお母さんも「もうやめて」と一言言ったとか。

夏休み明けに学校へ行くと、その変わりようがあまりに激しかったため、口の悪い友達から「脂肪吸引?整形?」と聞かれるほどだったそうです。

この壮絶なダイエット以降、街でスカウトされることが増え、後の芸能界入りにつながっていきます。

志尊淳の足立区を調べる人向けの関連情報

志尊淳さんの足立区や家族に関してもっと知りたい方に向けて、実家の現在・父親・母親・兄・姉・音楽一家のルーツまで詳しくまとめます。

実家は今も足立区にある?現在の住まい

志尊淳さん本人が現在も足立区に住んでいるかどうかについては、本人は現在足立区には住んでいないと考えられています。

根拠となっているのが、SNS上でお知り合いから「足立区で遊ぼう」と誘われた際に、志尊淳さんが「お邪魔します」と返信していたエピソードです。

もし足立区に住んでいれば「お邪魔します」とはならないため、現在の自宅は別の場所にあると推測されます。

2022年放送の「家事ヤロウ」でも「一人暮らし」であることを本人が語っており、現在は仕事の拠点に近い場所での一人暮らしを続けているようです。

ただし、実家(お兄さんなどの家族)は今も足立区に在住している可能性が高いとされており、ファンの間ではSNSの「志尊」という苗字の記述を辿ることで、足立区在住の家族の存在が確認されているそうです。

ちなみに志尊淳さんは「備蓄王子」として知られており、自宅には飲み水500L・簡易トイレ200個・強力懐中電灯10個・モバイルバッテリー20個という徹底した防災グッズを備えているとのこと。

収納が豊富な広めのマンションに住んでいることが想像できます。

父親は司祭との噂と音楽一家のルーツ

志尊淳さんの父親については、名前も顔も公表されていませんが、宮崎光(みやざきひかり)というカトリック司祭ではないかとされています。

この推測の根拠となっているのは、志尊淳さんの叔父・宮崎歩さん(シンガーソングライター)のWikipediaに「甥は俳優の志尊淳」と記載されていること。

そして宮崎歩さんの祖父・宮崎尚志の追悼CDの製作ノートに「長男・宮崎光(司祭)、次男・宮崎道(作曲家)、三男・宮崎歩(シンガーソングライター)」という記述があることです。

消去法で考えると、志尊淳さんの父親は長男・宮崎光さん(カトリック司祭)と推測されています。

祖父・宮崎尚志のプロフィール

宮崎尚志(みやざきなおし)さんは、日本を代表する作曲家のひとりです。

映画音楽・CMソング・校歌などを含めると作曲数は1万曲以上とも言われており、代表作には「スカッとさわやかコカコーラ」「それ行けカープ〜若き鯉たち〜」などがあります。

残念ながら2003年に病没されています。

祖母・中野慶子のプロフィール

祖母の中野慶子さんは、NHKの初代「うたのおねえさん」として知られる方です。

童謡「いぬのおまわりさん」を最初に歌ったのが中野慶子さんとされており、まさに日本の童謡史に名前が刻まれた人物です。

こうした家系を持つ志尊淳さん。

芸能界で活躍する素地は、確かに血筋として受け継がれていたのかもしれません。

母親の職業とシングルマザーとしての苦労

志尊淳さんのお母さんは一般人で、名前や顔は公表されていません。

離婚後は朝の掃除の仕事・午後の派遣の仕事をこなしながら3人の子供を育てたシングルマザーです。

祖母のサポートも受けながら、家族全員で助け合って生活していた様子が伝わってきます。

特に印象的なのが、志尊淳さんが17歳で家出し音信不通になっていた際のエピソードです。

家出から1年後、兄に呼び出されて実家に戻ったとき、号泣していたお母さんの姿を見て志尊淳さんは深く反省したと言います。

その後、一人暮らしを通じて「当たり前だと思っていた日常はお母さんのおかげだった」と気づいた志尊淳さん。

「徹子の部屋」で「お母さんが一生暮らせるお家を建ててあげたい」と語ったエピソードは、多くのファンの心を温めました。

なお、志尊淳さんの出産当時のお母さんの年齢は24歳と非常に若く、その若さで3人の子供を育て上げたことには、尊敬の念しかありません。

兄との家族エピソードと家出騒動の真相

志尊淳さんのお兄さんは志尊淳より4歳年上の一般人です。

笑福亭鶴瓶さんの番組で取材されたことがあり、身長180cm以上・がたいが良い・髭があるという強面のビジュアルで、警察から「何のお仕事をされていますか?」と呼び止められることもあるほどだとか。

しかし性格は非常に穏やかで、争いごとをしたことがない方だそうです。

鶴瓶さんも「兄貴めっちゃ感じええのよ」と語っています。

そんなお兄さんも、一度だけ激怒したことがありました。

志尊淳さんが17歳で家出を決行した際、お兄さんは1年後に志尊淳さんを呼び出し、「母親を泣かせるって、どういうことか分かってるんだろうな」と一言だけ言って殴ったと言います。

普段は温厚なお兄さんが初めて怒った出来事として、志尊淳さんもこのエピソードをたびたび語っています。

その後、志尊淳さんが出演したドラマで家族と対立する場面を演じた際に涙があふれ、それを見た家族から「あの時、淳はこんな気持ちだったのか」と連絡が来たことで和解。

家出から2年後に実家へ戻ることができました。

2017年6月にはお兄さんが結婚。

志尊淳さんはTwitterで「信じれない気持ちと信じれないくらい幸せな気持ちが入り混じってますがとにかく嬉しいです。優しくて頼もしくて素敵すぎる兄貴なのでほんとに良い父になりそうです」と喜びをつづり、ファンを温かい気持ちにさせました。

現在は家族ぐるみで食事や買い物に行くほど仲の良い関係を築いています。

姉の天然キャラが話題になったSNS投稿

志尊淳さんのお姉さんは、海外留学の経験が長く、日本の芸能事情にまったく詳しくないことで有名です。

「あんた(志尊淳)って仕事なにしてるの?」と聞かれたことがあったり、「テレビに出たことあるの?」と言われたこともあったりと、弟の芸能活動にあまり興味がない様子が伺えます。

特に志尊淳さんがSNSでシェアした姉との会話が反響を呼びました。

姉「友達が淳のドラマめっちゃはまってるらしいよ〜」と言ったので「ありがたい」と返すと、「なんだっけー、タイトル、えーっと、あ!ブッチャケ!!」と言われ、「ムチャブリだよ!!」とツッコんだそうです。

……これ、なんか分かりませんか?笑

愛すべき天然キャラで、こういうやりとりがたびたびSNSに投稿されるたびにファンが喜んでいます。

映画「覆面系ノイズ」(2017年)を観てくれた際も、他の出演者は褒めてくれたのに肝心の弟については「あんた、くちびるが青かった」という感想だったとか。

お姉さんの独自視点が、志尊淳さんのファンの間では癒しになっています。

実家は金持ち?祖父・叔父の華麗な音楽一族

志尊淳さんの実家が「お金持ち」と言われる理由として、親族に著名な音楽家が多いことが挙げられています。

まとめると以下の通りです。

人物続柄肩書
宮崎尚志祖父作曲家(CMソング・映画音楽・校歌など1万曲以上)
中野慶子祖母NHK初代「うたのおねえさん」(「いぬのおまわりさん」初歌唱)
宮崎光父(推測)カトリック司祭(立教大学オルガニスト)
宮崎道叔父作曲家
宮崎歩叔父シンガーソングライター・作詞作曲家(嵐「ハダシの未来」など)

ただし、「音楽一家」ではあっても「裕福な家庭」とは必ずしも一致しません。

実際、志尊淳さんのお母さんは離婚後にシングルマザーとして働きながら3人の子供を育てており、決して楽な生活ではなかったことが伺えます。

聖学院中学・高校という私立校に通えたことや、お姉さんが海外留学できたことから「裕福では?」という見方もありますが、母親の懸命な働きと祖父母のサポートがあってこそだったようです。

また、祖父がスーパーマーケットのオーナーだったという情報もネット上にありますが、信憑性は低いとされています。

世間の声:志尊淳と足立区への反応

志尊淳さんと足立区の関係についての世間の声を見ると、地元を大切にする姿勢への温かい反応が多く見られます。

「足立区出身って聞いて、あの爽やかなイメージとのギャップにびっくりした」「下町育ちだからこそ人情深いんだなと思った」「お母さんへの感謝のエピソードに涙が出た」といった声が多く、志尊淳さんの人間性と生い立ちを結びつけて捉えるファンが多いようです。

また「足立区出身でもこんなにかっこいい俳優になれるんだと、地元が誇らしい」という足立区在住のファンの声もあり、地元の方たちにとって志尊淳さんの活躍は大きな誇りになっていることが伝わってきます。

志尊淳の足立区に関するまとめ

  • 志尊淳は東京都足立区出身で、五反野エリアで育ったと推測される
  • 下町の公立小学校に通い、野球と剣道で区大会優勝するスポーツ少年だった
  • 幼少期は保育園脱走も日常のやんちゃな子供で、両親の離婚が影響した部分もあった
  • 両親の離婚後はシングルマザーの母と祖母のサポートのもとで育った
  • 中学時代は72kgから2か月で18kg落とした壮絶なダイエット体験を持つ
  • 本名「志尊」は全国に20人以下とも言われる超珍しい苗字
  • 現在本人は足立区には住んでいないが、兄などの家族は今も足立区在住の可能性が高い
  • 父親は宮崎光(カトリック司祭)と推測されており、著名な音楽一家の血を引く
  • 祖父は作曲家・宮崎尚志、祖母はNHK初代「うたのおねえさん」中野慶子
  • 叔父は嵐への楽曲提供で知られるシンガーソングライター・宮崎歩、作曲家・宮崎道
  • 17歳での家出・1年間の音信不通を経て、家族との絆を深めた
  • 兄は4歳年上でがたいのよい穏やかな性格、2017年に結婚し志尊淳も喜んだ
  • 姉は海外留学が長く、日本の芸能事情に疎い天然キャラとしてファンに愛されている
  • 「徹子の部屋」で「お母さんが一生暮らせる家を建ててあげたい」と語り感動を呼んだ
  • 「備蓄王子」としても知られ、自宅に500Lの水など徹底した防災グッズを備えている

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