テレビでおなじみの政治評論家・田崎史郎さんですが、プライベートは意外と謎に包まれています。
実は妻の眞由美さんが、あの個性的すぎるネクタイの仕掛人だったというから驚きですよね。
この記事では、田崎史郎さんの家族構成を中心に、妻や子供の情報から経歴、年収まで詳しくお伝えします。
・田崎史郎の妻・眞由美の人物像と夫婦仲のエピソード
・子供の有無や自宅の場所など家族構成の全体像
・学歴や経歴、「スシロー」と呼ばれる理由や年収の実態
田崎史郎の家族構成を徹底調査!妻・眞由美や子供の情報
テレビ番組でおなじみの政治評論家・田崎史郎さんですが、意外にもプライベートは厚いベールに包まれています。
ここでは、妻・眞由美さんや子供の情報、そして夫婦の仲の良さが伝わるエピソードを中心にお届けします。
妻・眞由美は福井出身の同郷パートナー
田崎史郎さんの妻は眞由美さんという方です。
田崎さんと同じ福井県の出身で、いわゆる同郷のパートナーなんですね。
田崎さんは福井県坂井郡三国町(現在の坂井市)で生まれ育ち、福井県立藤島高等学校を卒業しています。
眞由美さんも福井県出身ということで、地元が同じという共通点を持ったお二人です。
一部の情報では高校時代の同級生だった可能性も指摘されていて、もしそうだとすれば藤島高校時代からの知り合いということになりますね。
ここ、ちょっと気になるポイントですよね。
藤島高校は福井県でもトップクラスの進学校(偏差値71)ですから、学生時代からお互いの優秀さを知っていたのかもしれません。
学生結婚だった可能性
さらに興味深いのは、お二人が学生結婚をしたという情報もあることです。
田崎さんは1969年に中央大学法学部に入学していますので、大学在学中に結婚した可能性があります。
当時の時代背景を考えると、学生結婚はそこまで珍しくなかったのかもしれませんが、若くして人生のパートナーを見つけていたということですね。
田崎史郎さんの妻・眞由美さんは福井県出身の同郷パートナーで、高校同級生だった可能性もある方です。
夫婦仲の良さがわかるエピソード
田崎史郎さんと眞由美さんの夫婦仲は、非常に良好なようです。
田崎さんは過去に「古希のお祝いで妻と旅行に行く」と語ったことがあります。
古希というと70歳のお祝いですから、結婚から数十年を経てもなお一緒に旅行を楽しめる関係というのは、なかなか素敵ですよね。
……なんか、いいですよね、こういうご夫婦。
政治の世界で長年厳しい取材を続けてきた田崎さんにとって、眞由美さんの存在はきっと大きな支えだったのではないでしょうか。
また、お二人とも福井県出身ということで、家庭では福井の言葉で話すことが多いのだとか。
田崎さんはいまだに福井なまりが抜けないそうで、テレビ出演時にもたまにその訛りが出ることがあるようです。
長年関東で暮らしているにもかかわらず訛りが残っているのは、家庭で奥さんと福井弁で会話しているからこそなのでしょう。
数十年連れ添った今も仲の良い夫婦であることが、さまざまなエピソードから伝わってきます。
子供はいるが詳細は非公開
田崎史郎さんには子供がいるとされています。
ただし、子供に関する具体的な情報はほとんど公表されていません。
性別や人数、年齢といった基本的なプロフィールも明かされておらず、どんな仕事をしているのかも不明です。
田崎さんは1950年生まれですから、お子さんがいるとすれば既に成人して独立している年齢でしょう。
政治評論家として鋭い発言を続けてきた田崎さんは、家族の安全やプライバシーを守るために、意図的に情報を非公開にしていると考えられます。
政治の世界に深く関わるジャーナリストだからこそ、家族を表に出さない判断は十分に理解できるものですよね。
子供の存在は示唆されているものの、プライバシー保護のため詳細は一切公表されていません。
個性的なネクタイは妻のセンス
田崎史郎さんといえば、テレビ出演時の個性的なネクタイも話題になりますよね。
明るい色や派手な柄物を日常的に愛用していて、なかには土偶や土器、勾玉が散りばめられたデザインのものまであるのだとか。
え、そうだったの!?って感じですよね。
視聴者からは「ネクタイが気になって話が入ってこない」なんて声もあるほどです。
実はこれらの個性的なネクタイ、選んで購入しているのは妻の眞由美さんなんです。
田崎さん本人がテレビなどで公言しています。
百貨店やセレクトショップなどで眞由美さんが面白いデザインのネクタイを見つけて購入し、田崎さんはその中からその日のスーツに合うものを自分で選んで着用しているそうです。
田崎さんにはスタイリストがいないため、衣装はすべて自前です。
ブランドの価値ではなく、純粋にデザインの面白さで選ばれているところがまた魅力的ですよね。
田崎さんのトレードマークとも言える個性的なネクタイは、妻・眞由美さんのセンスによるものでした。
自宅は埼玉県坂戸市の一軒家
田崎史郎さんの自宅は埼玉県坂戸市にあります。
これは田崎さん本人がテレビ番組で話していたことです。
時事通信社の解説委員長まで務め、フリー転身後もテレビに引っ張りだこの田崎さんですから、都心の一等地に住んでいてもおかしくないイメージがありますよね。
ところが実際には、さいたま市や浦和市ではなく坂戸市という、東武東上線の沿線で都心からはそれなりに距離がある場所に一軒家を構えています。
仕事のたびに埼玉県から都内まで通っているということになりますね。
1950年生まれで70代半ばとなった田崎さんにとって、長時間の通勤は決して楽ではないはずです。
なぜ坂戸市を選んだのか、その理由は明かされていません。
何かの機会に坂戸市を訪れて気に入ったのか、あるいは通勤圏内で落ち着いた環境を求めた結果なのか、さまざまな推測はできますが確かなことは分かっていません。
福井なまりが抜けない理由
先ほど触れたとおり、田崎さんは坂戸市の自宅で眞由美さんと暮らしています。
お二人とも福井県出身ということで、家庭では自然と福井弁が飛び交っているのでしょう。
長年関東に住んでいながらも福井なまりが健在なのは、まさにこの夫婦の暮らしぶりが関係していると考えられます。
田崎史郎さんの自宅は、意外にも埼玉県坂戸市にある一軒家です。
田崎史郎の家族構成を調べる人向けの関連情報
田崎史郎さんの家族構成に興味がある方は、経歴や人物像についても気になるのではないでしょうか。
ここからは、出身や学歴、若い頃のエピソード、そして「スシロー」と呼ばれる理由まで、幅広くご紹介します。
出身は福井県三国町で藤島高校卒
田崎史郎さんは1950年6月22日、福井県坂井郡三国町(現在の坂井市)に生まれました。
三国町は日本海に面した港町で、東尋坊でも知られる風光明媚な土地です。
高校は福井県立藤島高等学校に進学しています。
藤島高校は偏差値71を誇る福井県トップの進学校で、毎年多くの卒業生を難関大学に送り出しています。
田崎さんの優秀さは、高校時代から際立っていたことがうかがえますね。
福井県民は「負けず嫌いで努力家、温和でリーダーシップに長けている」と言われることがありますが、これはまさに田崎さんそのものかもしれません。
田崎史郎さんは福井県三国町出身で、県内トップの藤島高校を卒業しています。
大学は中央大学法学部で法律家志望
高校卒業後、田崎さんは1969年に中央大学法学部法律学科に入学しました。
当初は法律家を目指していたそうです。
中央大学法学部といえば、司法試験の合格実績で知られる名門ですから、真剣に法曹の道を考えていたのでしょう。
しかし結果的にはジャーナリストの道を選ぶことになります。
大学在学中には三里塚闘争(成田空港反対運動)に参加し、凶器準備集合罪で逮捕されて13日間留置されたという経験もあります。
当時の学生運動の時代背景を反映したエピソードですが、若い頃から社会問題に強い関心を持っていたことがわかりますね。
1973年3月に中央大学を卒業し、同年4月に時事通信社に入社しています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出身地 | 福井県坂井郡三国町(現・坂井市) |
| 生年月日 | 1950年6月22日 |
| 出身高校 | 福井県立藤島高等学校(偏差値71) |
| 出身大学 | 中央大学法学部法律学科 |
| 入社先 | 時事通信社(1973年4月) |
中央大学法学部で法律家を目指していた田崎さんですが、最終的にジャーナリストの道を選びました。
若い頃は学生運動参加や会社提訴も
田崎史郎さんの若い頃は、現在のテレビでの穏やかな印象とはかなり異なる一面がありました。
先述のとおり、大学2年生のときに三里塚闘争に参加して逮捕されています。
凶器準備集合罪で13日間留置されるという、かなり激しい学生時代を送っていたんですね。
知ったときびっくりしませんでしたか?
さらに、1973年に時事通信社に入社した後も波乱がありました。
当初は経済部に配属されましたが、1975年に浦和支局への異動を命じられます。
田崎さんはこの異動を、少数派の労働組合に所属していたことを理由にした不当な左遷だとして会社を提訴しました。
納得できないことには声を上げて行動に移す姿勢は、まさにジャーナリストの資質そのものと言えるかもしれません。
その後、3年3か月後に政治部へ異動させることを条件に和解が成立しています。
普通の社員なら泣き寝入りしてもおかしくない状況で堂々と闘ったわけですから、田崎さんの意志の強さがうかがえるエピソードです。
学生運動への参加や会社提訴など、若い頃から行動力と信念の強さを持った人物でした。
経歴は時事通信39年の政治記者人生
会社との和解条件どおり、1979年に念願の政治部へ異動した田崎さんは、当時の首相・大平正芳さんの番記者に抜擢されます。
ここから39年にわたる政治記者としてのキャリアが本格的にスタートしました。
その後、新自由クラブ、外務省の担当記者を経て、1982年4月からは田中派(木曜クラブ)を担当することになります。
以来、竹下派、橋本派(平成研究会)を中心に、長年にわたって自民党の中枢を取材し続けました。
政治記者と並行して整理部長や編集局総務なども歴任し、2006年からは解説委員長に就任しています。
テレビ番組への出演が本格化したのはこの頃からで、民放キー局の報道番組やワイドショーでおなじみの顔になりました。
2010年に60歳で定年を迎えますが、再雇用契約を経て勤務を継続。
その後は特別解説委員という肩書で在籍し、2018年6月末に68歳で退職しました。
退職後はフリーランスの政治評論家として活動を続け、駿河台大学では客員教授も務めました。
主な著書
田崎さんは複数の著書も出版しています。
| 出版年 | タイトル | 出版社 |
|---|---|---|
| 1995年 | 経世会 死闘の七十日 | 講談社 |
| 2004年 | 梶山静六 死に顔に笑みをたたえて | 講談社 |
| 2009年 | 政治家失格 | 文藝春秋 |
| 2014年 | 安倍官邸の正体 | 講談社 |
| 2017年 | 小泉進次郎と福田達夫 | 文藝春秋 |
政治の内幕を知る人間だからこそ書ける内容が詰まった著書ばかりです。
田崎史郎さんは時事通信社で39年間、政治記者一筋のキャリアを積み上げた大ベテランです。
スシローと呼ばれる理由は安倍との会食
田崎史郎さんがネット上で「田崎スシロー」と呼ばれていることをご存知でしょうか。
この愛称(揶揄)の由来は、故・安倍晋三元首相との関係にあります。
田崎さんは安倍さんと非常に親交が深く、2013年以降、寿司屋での会食を頻繁に行っていたことが報じられています。
この会食の場として知られるのは回転寿司のスシローではなく、西新橋にある高級寿司店「しまだ鮨」でした。
寿司屋での会食が頻繁だったことと、田崎さんの名前「史郎(しろう)」の語感が「スシロー」と似ていたことから、このあだ名が定着したわけです。
また、2013年には自民党の政党交付金から組織活動費名目で資金提供を受けていたことも明らかになっています。
安倍政権や自民党を擁護するようなコメントが多いと感じる視聴者もおり、批判的な見方をするメディアやSNSユーザーの間でこのあだ名が広まりました。
ただし田崎さん自身は朝日新聞の取材に対して「たとえ代弁だと批判されても、政権担当者がどう考えているのかを伝えることが仕事」という趣旨の発言をしています。
立場や見方によって評価が分かれるところですが、政治の最前線で取材を続けてきたジャーナリストならではの信念が感じられる発言ではありますね。
「田崎スシロー」の愛称は、安倍元首相と寿司屋で頻繁に会食していたことと、名前の語感に由来しています。
年収は推定1900万円前後
フリーの政治評論家として活躍する田崎史郎さんの年収も気になるところですよね。
複数のメディアや推測記事によると、田崎さんの推定年収は1,800万〜2,000万円前後とされています。
あくまで推測ベースの数字ではありますが、主な収入源は以下のとおりです。
| 収入源 | 概要 |
|---|---|
| テレビ出演料 | 収入の約7割を占めるとされる。年間100回以上出演 |
| 講演活動 | 各地での講演会に登壇 |
| 著書の印税 | 複数の著書を出版 |
田崎さんはフリーランスのため、事務所への取り分がなく、ギャラの大部分が本人に還元されるという利点もあります。
ひるおび!やモーニングショー、報道1930、BSフジLIVE プライムニュースなど、複数のレギュラー番組を持っていることが収入を支えていると考えられます。
ただし、これらの数字はあくまで一般的な相場をもとにした推測ですので、実際の金額とは異なる可能性がある点はご了承ください。
田崎史郎さんの年収はフリーの政治評論家として推定1,900万円前後で、テレビ出演が収入の柱になっています。
田崎史郎の家族構成のまとめ
- 田崎史郎は1950年6月22日生まれの政治評論家・ジャーナリスト
- 妻の名前は眞由美で、福井県出身の同郷パートナー
- 高校時代の同級生だった可能性があり、学生結婚との情報も
- 夫婦仲は良好で、古希のお祝いに夫婦で旅行するほど
- 子供がいるとされるが、性別・人数・職業などの詳細は非公開
- 個性的なネクタイは妻の眞由美が購入し、本人がコーディネート
- 自宅は埼玉県坂戸市の一軒家で、都内まで通勤している
- 出身は福井県坂井郡三国町(現・坂井市)
- 福井県立藤島高等学校(偏差値71)を卒業
- 中央大学法学部法律学科で学び、当初は法律家を志望
- 大学時代に三里塚闘争に参加し、逮捕・13日間留置された過去がある
- 時事通信社入社後に浦和支局への左遷を不当として提訴した経験を持つ
- 時事通信社で39年間政治記者として活動し、解説委員長まで務めた
- 安倍晋三元首相との寿司屋会食が「田崎スシロー」の愛称の由来
- フリー転身後の推定年収は1,900万円前後とされる

